ホームレス

ウィキペディアよりホームレスの項

寺や教会などの宗教施設は、納税の義務が免除されていることが多く、その競争力のある経済基盤と知識の集約により、近代まで医学・薬学・農業・高利貸しなどの産業を担ってきた。そのため、寺には失業者を受け入れる経済的土壌があり、また、時期によってはホームレスを僧兵(傭兵)として受け入れてきた。一方、民衆からの寄進もあるため、産業を持たずともある程度の失業者を涵養することが出来た。寺の経済力で涵養できないほどの数のホームレス供給があった場合、巡礼に出して地域で涵養してもらった。西日本(四国)では、そのような巡礼者を受け入れてきた歴史があり、現在は、ホームレス対策としてではなく、宗教的な儀式の一環として巡礼が定着している。

学生時代に奈良の学校へ通学していたのですが、近鉄奈良の噴水広場にはよく虚無僧が立っており、施しみたいだなーと思っていたのですが、そのまま地域で抱えるとの解釈でよかったんだなぁと。
とある番組*1で、京都市のゴミ回収が最近遅いという所からゴミの分別回収の話になりました。通常ホームレスの空き缶集めは持続的な回収を行いたいため、回収後のゴミ置き場は散らかったりはしないと思います。最近は自動車を使った、ホームレスではないおそらく小遣い稼ぎを目的とした者がおり、そういった者はゴミ置き場を散らかしたりゴミ袋*2だけを持っていったりで困っちゃうという話のくだり。
そこでとある大学教授*3が、ゴミ捨て場のゴミは自治体が所有権を留保する有価物なのだから、自治体にやる気があればあれば対処できる、旨の発言をおこなっていました。事例として千代田区を挙げてあり例としては不適切ではと思っていましたが、スタジオも微妙な空気となっていました。
ホームレスが存在する事は地域により文化的な背景のある場合が多いので、空き缶回収を仕方がないと許容してしまう考えと、受け入れることのできない考えに対し、そもそもの土壌の違いを感じました。

*1:朝日放送ムーヴ

*2:有料

*3:福岡政行